2021年07月28日

“Tokyo Pandemic”

最近、タレントの"のん"がアート作品の制作をしているのだが、
現代アートの文脈からすると立派なアート作品ではあるが、その
概念のなかに制作者の容姿"可愛い" "綺麗"という価値が加算されて
おり、それが是か非かという問題はある。
現代アートの文脈において作品の優秀さが必要とされない状況で、
制作者の容姿を概念に内包させるというのは、アートの差別の肯定
であり、それを許してよいのだろうか。
ブサイク人間のひがみではあるが、純粋にアートを追求するなら名前も
顔も伏せて活動すべきかもしれない。
私はそれを実践しているわけだが・・・。




2021.07.28 kazuo Adamski oil on canvas F8 op576
“Tokyo Pandemic”

Production day 1
Production day 2
Production day 3
Production day 4
posted by monet at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 鍋屋横丁芸術論
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